土曜の朝、6 時半に集合場所のグラウンドに着くと、子どもたちはもうキャッチボールを始めています。私には子どもが 4 人いて、うち男の子 3 人が少年野球をしていて、私自身もコーチとしてノックを打ったりスコアをつけたりしている、ごく普通の野球おじさんです。
そんな私が最近気になっているのが、MLB の AI 活用なんですよね。Statcast の打球角度、ピッチトンネル、フレーミング評価、対戦相手の配球をリアルタイムに集計するベンチ内タブレット。情報は山ほど出てきますが、これを「土曜のグラウンド」に持ち込めるかというと、話はそう単純ではありません。
この記事は、AI 業務実装を仕事にしている人間が、少年野球のコーチとして MLB の最前線を眺めたら何を持ち帰れたか、そして何を諦めたかの記録です。
MLB の現場で AI が触っているのは「測ること」と「決めること」
MLB の AI 活用は、大きく 計測領域 と 意思決定領域 の 2 つに分けて眺めると整理しやすいと感じています。
計測領域の代表が Statcast です。打球速度、回転数、打球角度、走者のスプリントスピード、守備位置までミリ秒単位で記録されていて、Hawk-Eye のカメラ群と組み合わせることで、関節の角度まで取れるようになっています。バイオメカニクス解析と呼ばれる領域で、肘の使い方や下半身の連動を、選手本人が言語化できないレベルで可視化してくれる。人間の目では追えない粒度を、機械が黙々と数字に変換している、と言ってもいいと思います。
もう一方の意思決定領域では、配球選択や守備シフト、代打のタイミングといった判断に AI が組み込まれています。バッターの過去のスイング軌道、その日の球審の癖、相手投手の疲労度。これらを掛け合わせて、ベンチ内のタブレットに「次の球はこのコースが期待値最大」みたいなサジェスチョンが出てくる、と聞きます。
最近はそれに加えて、生成 AI による試合レポートの自動生成 や、スカウティング文書の要約も入ってきています。映像と数値とテキストが、ようやく一つのレイヤーで扱えるようになってきた、という印象です。
領域 | 触っているもの | 代表的な道具 |
|---|---|---|
計測 | 打球・回転・関節角度 | Statcast / Hawk-Eye |
意思決定 | 配球・シフト・代打 | ベンチ内タブレット |
言語化 | 試合レポート・スカウト要約 | 生成 AI |
計測の層が分厚いから、意思決定の層が成立する。順番を間違えると、何も出てこない。
これ、書いていて思いますが、企業の AI 導入とまったく同じ構造です。後でその話に戻ります。
少年野球に持ち込んで意味があるもの、ないもの
正直に言うと、MLB の AI 活用のうち、町の少年野球チームに持ち込んで意味があるものはかなり限られます。私が「やる価値あり」と判断したのは 3 つだけです。
- スマホで撮ったスイング動画をフレーム単位で並べて見せる
- 試合のスコアブックを表計算に転記して、打順別の出塁率を出す
- 投手の球数と、できれば肘の感覚を意識して記録する
- は無料アプリで十分です。コマ送りができて、2 つの動画を並べて比較できれば、フォーム修正の議論が「だいたい」から「ここ」に変わります。2) は Excel と簡単な関数で足ります。Google スプレッドシートでも
=COUNTIFと=SUMIFがあれば、打順別・コース別の集計はだいたい片付きます。3) は AI どころかメモ帳の話ですが、これが一番大事です。
逆に持ち込まない方がいいのは、配球の最適化 と 守備シフトの数理化 です。理由はシンプルで、小学生の野球は「同じ状況が再現される頻度」が圧倒的に低いからです。プロは年間 162 試合で何万球も投げますが、うちのチームは年間でも 30 試合あるかないか。サンプル数が 3 桁違うとなると、統計の話としては土俵に乗りません。
それ以前に、町のチームでは 記録そのものが残っていない問題 の方がはるかに大きいです。AI を入れる以前に、紙のスコアブックがどこかに行ってしまったとか、誰がベンチ入りしたか分からないとか、そういうレベルから始まる。白状すると、私自身、最初の年は子どもたちの打席結果すら追えていませんでした。
AI の前に、データが残っていない。これは企業の DX 相談でも、9 割の現場で起きています。
少年野球で見えるこの「土台の薄さ」は、私の仕事の文脈でも見覚えがありすぎる景色です。
うちのチームで実際にやってみたこと
うちのチームで実際に始めたのは、AI らしい AI ではなく、地味な仕組み作りでした。
まず、スコアブックを試合後にスプレッドシートへ転記する係を、保護者の中で手を挙げてくれた方にお願いしました。最初は私がやろうと思っていたのですが、ノックも打ちながら、ベンチでも声出して、転記までやると土曜が完全に潰れます。これは早々に諦めて頭を下げました。
次にやったのが、打順別の打席結果の集計です。3 ヶ月分、11 試合のデータを集計してみたところ、当時 4 番に置いていた子の出塁率が .273、2 番の子が .421 という数字が出てきました。打率ではなく出塁率です。4 番の子は長打が多くて目立つので 4 番にしていたのですが、四球と単打を含めた塁に出る確率では 2 番の子が圧倒的でした。
これを見て、打順を組み替えました。劇的にチームが強くなったかというと、そこまでではありません。けれど、打順を決める会話の質が変わりました。「あいつは調子いいから」「あいつは去年 4 番だったから」という会話から、「直近 5 試合の出塁率はどうなってる?」という会話に変わった。これは小さいですが、私にとっては大きな変化でした。
動画は親が撮るので、それをクラウドの共有フォルダにまとめて、「打席ごとに見返せる」状態にしました。最初は LINE で送り合っていたのですが、過去の打席を遡るのが地獄で、3 週間で挫折しました。
AI らしい AI は、ほぼ使っていません。けれど、データを残す習慣ができただけで、感覚で「あいつは調子いい」と言っていた部分に根拠が出てきた、という手応えはあります。
動画一枚で次の打席が変わった日のこと
ある日の練習試合。相手の 6 年生エースがスライダーを低めに集めてくるタイプで、うちの上位打線が 3 人連続で打ち取られました。ベンチで「変化球に対応できていない」と言うのは簡単ですが、それだけでは次の打席で何をどう変えるか伝わりません。
そこで親御さんが撮っていた動画を、その日のうちに共有フォルダに上げてもらい、月曜の練習前に子どもたちと一緒に見ました。フレームを一つずつ送ると、3 球目の外角スライダーに対して体が前に泳いでいることがはっきり見えました。ストレートのタイミングで待ちに行っているから、変化球が来た瞬間に体重が前に移ってしまっている。「変化球待ちをしろ」と言葉で繰り返しても伝わらなかったものが、コマ送りで見せたら一発で伝わる。
次の週、同じ相手と再戦したときに、3 番の子が粘って四球を選びました。AI が選ばせたわけではありません。動画を遅送りにして「引きつけてから判断しよう」と決めただけです。けれど、これが MLB のバイオメカニクス解析の 極端にチープな縮小版 なのだとしたら、方向性としては間違っていない気がしました。
副産物として、保護者の方々が自分の子の成長を時系列で見返せるようになって、想定外に喜ばれています。フォルダを「試合日 / 選手名」で切ったのが地味に効いていて、これも仕事で散々やっているフォルダ設計の話と同じだなと、月曜の朝に苦笑いしました。
仕事と少年野球で、同じ景色が見えた話
ここからは半分、自分用のメモです。
MLB の AI 活用を眺めていて思ったのは、企業の AI 導入とまったく同じ順番だということです。先に計測の仕組みを作り、データを残す習慣をつけ、そのあとで初めて分析や自動化が意味を持つ。
順番を飛ばすと、何も出てきません。
「AI でなんとかしてくれ」という相談を平日にいただくことが増えました。気持ちは本当に分かるのですが、土台のデータがないところに分析モデルを置いても、出てくるのは平均と分散の薄い情報だけです。少年野球で痛感したこの順番を、最近はクライアントに説明するときの例え話として使うようになりました。野球の話の方が、システムの話より腹落ちすることが多いんですよね。これは正直、想定外でした。
AI を業務に持ち込むときの「順番」が崩れている現場については、生成 AI の業務実装で、最初に必ず躓く 3 つの設計判断 でも書いています。組織と再現性の話としては、凡人経営者が大谷翔平から学ぶ、組織と再現性の 3 つの視点 もあわせて読んでいただけると、私の頭の中の地続き感が伝わるかもしれません。
計測→記録→分析の順番について話しましょう
AI を業務に持ち込むときの「順番」が気になっている方、あるいは「データはあるはずなんだけど、どこから手を付けたらいいか分からない」という方は、よければ一度話しませんか。少年野球の話を入口にした方が、かえって本題が早く進むこともあります。
私たちが普段やっている AI エージェント・生成 AI 活用 のご相談は、いきなりモデル選定の話から始めることはほとんどなくて、たいてい「何を測っていて、何が記録されていなくて、何が見えていないのか」を一緒に並べるところから始まります。
具体的なご相談は /contact からお気軽にどうぞ。土曜は私、グラウンドにいることが多いので、平日のレスになります。あらかじめご了承ください。
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